韓国ドラマ「王女の男」の第5代王 文宗、6代王 端宗、7代王の 世祖の家系図や年表になります。
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韓国ドラマ「王女の男」はキム・スンユ とイ・セリョン の政敵の子供同士のラブストーリーも面白いですが、韓国ドラマの時代劇の恒例の王座をめぐる権力争いも激しいです。
王座の権力争いは 母親が違う皇子同士が母親の実家などの貴族勢力も巻き込んで 繰り広げられますが、
「王女の男」では 母親が同じなのに 次男に生まれたスヤン大君が自分の兄で長男の朝鮮5代王 文宗 に激しく嫉妬し、権力を自分のものにしようと必死になります。
文宗 の長男が第6代王 端宗が王位継承しますが、わずか3年で 王座から追い出し、自分が 7代王 世祖として王座につきます。世祖の在位期間は 1455~1468とわずか13年。
世祖の長男は1457年に若干20歳で 死去、世祖の次男は 第8代王 睿宗 として王座に就きますが、在位わずか13カ月で死去。
権力争いに勝って王座を手にした世祖でしたが、自分の子供たちは 短命に終わってしまいました。
朝鮮5代王 文宗 の長女 敬惠公主 は 父が亡くなった後 弟の端宗 が6代王になったのに、1453年にスヤン大君に 癸酉靖難をおこされ、キム・ジョンソなど端宗派を殺害されてしまいます。
スヤン大君が実権を握り、その後わずか3年で王座をスヤン大君に奪われます。
1455年に世祖の側近を取り除こうとする「錦城大君瑜」にかかわった夫 チョン・ジョン は1455年に流刑され、1456年の死六臣事件の罪も加重されます。
結局 1461年に陵遲處斬 という 大逆罪を犯した者に科した最大極刑をされて亡くなります。
敬惠公主 も チョン・ジョンと一緒に流刑され、官婢になります。
その後 息子を産みますが、世祖 の貞熹王后が親しく養育されたそうです。
世祖が1468年に死去、敬惠公主は1473年に死去。
「王女の男」の中でも 敬惠公主はあまり幸せそうな描かれ方をしていませんでしたが、
史実の中でも 敬惠公主はスヤン大君を恨んで さみしい人生を送ってようですね。